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きっかけは、平野紫耀くん目的で見始めたまいど!ジャ〜ニィという番組だった。

 

わたしは地方出身で、大学受験期間中の息抜きは同世代の嵐担が運営している、とあるアメブロを隅から隅まで読み漁ること。確か、その人のブログで名前が出てきたから、紫耀のことだけは先に知っていた。

その後、わたし自身の進学先がたまたま関西だったこともあり、どんな人か興味本位でまいジャニを観てみたのだった。

 

結果として、わたしがビビビビビと雷を打たれたのは、その番組に出ていたタレ目でホワホワで控えめな男の子、西畑大吾くん。

ある意味一目惚れだったと思う。そこからは、雑誌もレポも番組も全部西畑くんが注目の対象になった。まだ松竹座が何たるものかも知らない中、突然目に入ったレポが坊主情報だったりした(刺激強すぎ)。あと、二宮くんのことも大好きだと知って、嵐好きな共通点が嬉しくて、ますますお気に入りになった。

 

まだ心斎橋にジャニショがあったころ、だいれん向かい合わせツーショットとかを買った形跡があるので、相当な刺さり具合だったんだと思う。当時の自分に心から感謝している。

ちなみにだけど、突然の坊主はなんと初出演ドラマになる朝ドラ ごちそうさんの役作りのためだった。ワクワクで待ちきれなかった初回放送日は録画を失敗して泣いた。初心だね〜。

 

そんなこんなで、ちょうど新しい世界に浮き足立っていた2013→2014のカウコン。WEST4人でのデビュー発表があった。Jr.担の厳しさの"き"も知らない初心(ウブ🫰🏻)なわたしに、西畑担の自我がぴょこっと芽生えて、この先の長い長い道のりに一歩足を突っ込んでしまった瞬間になったと思う。それからはもう、毎月ドル誌発売の時期になるたび、次号予告のページをめくっては、ほろほろと崩れていく大好きな6人の名前を眺めて落ち込んで。

初めて勇気を出して申し込んだ2014春松竹もなぜだか外れちゃって(郵便局の振り込み用紙にチミチミ希望日を書き連ねていた時代)、次こそはと少し期待した夏松竹には出なくって(まだJr.のスケジュール被りとか理解してない人)、ようやく生きた大吾くんに会えたのは、かの有名なEndless SHOCK 梅田芸術劇場公演。

ちいこい体で純粋に真っ直ぐ取り組む大吾くんがほ〜〜〜〜んとに誇らしくってもう!かわいいし!当時まだ嵐のCDは買っていたはずだけど、気持ちは完全に西畑担になっていた。

そしてついに、2014年の冬、後に心の実家となる大阪松竹座で、関西ジャニーズJr.の一員 西畑大吾くんとご対面。あの公演のOPの立ち位置は最上手、オレンジ色。他のみんなにはあるソロ曲もなかったはず。それでも、わたしはセンターを好きになる柄でもないし、ちょっと後ろで可愛くアイドルしてる子に目がいくんだよな〜なんて呑気に考えていた。それから2つほど季節が過ぎたら真逆の環境が待っていたわけなんだけど、そんなことは露知らず。

 

WESTの一発めぇでは初めてバック担としてコンサートに入った。友達がいなかったから1人。周りのWEST担とあまりにも挙動が違ったからか、公演後、隣の藤井担のお姉さんにJr.担なのか聞かれて、銀テープを分けていただいたりした。優しい。

 

季節が巡って大吾くんの髪も伸び、パリピポバックに着く頃にはもう立派なバック担の自分が育っていた。家を買うには授業の関係で行けなかったけど、そこからまた夏がやってきて、大吾くんはついに関西Jr.のセンターに立った。

 

大吾くんと松竹座の思い出で、3つ要素を挙げるなら、本番前の(自分の)胃痛と、願うように投函するファンレターと、2階3階席を見上げる顔を1階席から見つめる時間。

正直楽しいことばかりじゃなくて、しんどくて先が見えなくてドロドロの気持ちを抱えて眠る日もあった。

というか、所謂個人戦時代、ユニットができるまでの時期を振り返ってイメージする単語は、"必死"だとか"一生懸命"とかが先に出てくるかもしれない。渦中に居た自分は、毎公演ガムシャラにメモを取って、一文字でも多くTwitterに記録を残して、これ以上夢中になれるものなんてないってくらいのめり込んでいたけど、今思えば、「学生時代の部活って楽しい!」とおんなじ部類のやりがいや楽しさだったのかな。

 

ありがたいことに大吾くんの発言は見出しに使っていただくこともあり、批判の的になることも少なくはなかった。てか多かった。言葉選びが上手な方ではなかったりして、担当から見ても「あちゃ〜〜……」と声が出ることもあった。そんな環境になると、自分の言葉で話すことが怖くなりそうなものだけど、大吾くんのジャニweb更新はずぅっと長文でいてくれた。余白使いのプロが極まった頃には、1回分の更新でスクショが30枚超えになったこともある。ウケるよね。論文?

 

ここから真面目に話すと、わたしがもうすぐ9年になるこの間、熱量を絶やすことなく応援し続けられた理由の一つは、間違いなく、大吾くんが、大吾くんの言葉で、大吾くんの気持ちを伝えることを大切にし続けてくれたから。それはジャニwebもだし、インタビューでの回答や、公演での挨拶もそう。欲しい時にもらえる欲しい言葉ほど、人の気持ちを掴んで離さないものはないと思うの。

 

願うように祈るように大阪松竹座で季節を重ねて、なにわ男子というあったかホームが生まれて。2021年11月12日、ついに西畑大吾くんはCDデビューをした。

 

正直、今までも「もしかして、これって、デ………?」とざわつくくらいBIGなお仕事を抱えてきたわけで、デビューしたとてそんなに大きく変わることはないと思っていた。

でもね〜〜、全然違ったよ!!デビューはやっぱりすごかった。Jr.担時代の自分は、デビューのことを分かっていたようで何も分かっちゃいなかったんだわね。

 

そもそも、知名度が段違いに上がった。そして、生活する中で「なにわ男子が好きなんだよね」の声に出会う頻度が10倍くらいになった。お話しするご本人じゃなくても、家族が、友達が、なにわ男子が好きって人に出会う確率の高さよ。この1年間で、なにわ男子の存在は、自分たちだけが知っている身近なご当地ヒーローから、全国民全世代が知っているアンパンマンくらいでっかくなっちゃったわけ。

 

何気なく最寄りのスーパーへ買い出しに行けばBGMでなにわ男子が流れるし、街を歩けば意識していなかった広告に出会うし、もはや何の雑誌に出て何の番組に出ているかも、最新のYouTubeの内容も追いきれなくなっちゃって。今となっては、デビューしてから好きになった人たちの方が、自分より何倍も2022年の彼らを知っている。

 

寂しくないかと言われたら嘘かも。こうして人はJr.担にまた戻っていくのかと悟った日もあるし。それでもさぁ、今の自分にとっては大吾くん以上に胸を熱くしてくれるアイドルはどこを探してもいないのよ。

 

最後に、自分の中の意識で変わったことといえば。

Jr.担時代の自分にとって、大吾くんといえば宇宙一カッコいいとびきりのヒーロー的存在だった。このブログのタイトルもそうだし、Twitterアカウント名もそれが由来。松竹座に持参したファンレターにも必ず書いた言葉だった。関西Jr.を背負って気負ってメラメラに闘志を燃やす姿は、痺れるほど心に響いていたのよ。

自分の中では今もその感情の延長線上にあると思っていたけど、先日関西Jr.の大阪城外配信を観た時に気が付いた。わたし、いまだいごくんにお手紙を書く機会が来ても、もうヒーローって言葉は使わないかもって。

今思えば、なにわ男子になってから、大吾くんはどんどんいい顔をするようになって、その分あの頃のヒリヒリした感情よりもじんわり心に染み渡る表情をすることが増えたかも。

今の自分にとっての大吾くんは何かな。冬のこたつとかが近いかな。もはや定年退職後の余生的な感情で見守っている今日この頃。

 

8〜9年の月日というのはやっぱり長いもので。1st LOVEのツアー中、大吾くんの目元にくしゃっと寄ったシワを見て、うわ〜〜〜〜わたしも大吾くんもそれだけ歳を重ねてきちゃったのか〜と胸がいっぱいになったりしたもんな。

 

そして何より、大吾くんが好きで、なにわ男子の7人が好きで、応援し続けたいな〜の気持ちが変わらないのは、どんなに存在が大きくなっても変わらない愛で寄り添ってくれるから。

 

自分の好きな熱量で、自分ができる範囲で、それでも大丈夫って肯定してもらえる世界はありがたい。

オタクが大事にしてきたものを、オタク以上に大事に丁重に扱って、愛情100倍で返してくれてありがとう。どの記念日も同じくらい大切に祝ってくれてありがとう。

 

きっとこの先どんどん大きく飛躍していくであろう2年目も、マイペースに、楽しく気楽に応援できたらいいな。

 

デビュー2周年の2023.11.12にむけて、

レッツ  フライト✈️✈️✈️✈️✈️✈️✈️🗺❣️

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